摩耶山史跡公園
現在の摩耶山天上寺は、夜景で有名な摩耶山掬星台の北側に位置しますが、元々は摩耶山掬星台の南の中腹にありました。
1976年(昭和51年)1月に焼失し、開祖の地と伝えられる元摩耶(現在の地)に移り、旧境内は「摩耶山史跡公園」として整備され、摩耶山への登山道となっています。
「摩耶山史跡公園」は、まやビューラインの中間駅「虹の駅」から摩耶山山頂へ続く登山道沿いにあり、焼け残った山門(仁王門) や石垣、石段などが残されています。
ケーブルカーとロープウェイなら「摩耶山掬星台」までは約15分ほどですが、「摩耶ケーブル駅」から「上野道 」を通って「摩耶山史跡公園」経由で「摩耶山掬星台」まで歩いて登ると約2時間です。
「摩耶山史跡公園」 へは、「新神戸駅 」からも歩いて登ることができます。「新神戸駅 」から「旧摩耶道」を通って「青谷道」経由で旧天上寺の山門(仁王門)まで約2時間30分です。 旧天上寺の山門(仁王門)から 「摩耶山掬星台」までは約30分。

昭和初期、「虹の駅」(旧 摩耶駅)周辺には茶店や食堂、射的場などがありましたが、天上寺の大火の後、次第に廃れていき、現在は廃墟となっています。

1925年に開設された摩耶山遊園地の跡地に、1958年木造2階建ての展望台が建設されました。現在は展望広場として整備されています。

摩耶観光ホテル
「摩耶観光ホテル」は1929年に竣工し、複合保養施設「摩耶温泉ホテル」として開業。戦争の影響で1944年から1964年まで休業したのち、内装には豪華客船「イル・ド・フランス」の部材などを使って改装し、「摩耶観光ホテル」として営業を再開。1967年に台風の被害によりふたたび休業。1970年代に学生向けの合宿施設「摩耶学生センター」として利用されたが、1993年に閉鎖されました。現在は廃墟として人気がありますが、周辺は立ち入り禁止なので近づくことができません。


「マヤカン」の愛称で呼ばれる「摩耶観光ホテル」は、 船のブリッジを思わせる外観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれていました。 現在は「廃墟の女王」とも言われています。
摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク
「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」は、「摩耶山掬星台」から「摩耶山史跡公園」を通って、廃墟として残されている「摩耶観光ホテル」まで歩くツアーです。このツアーは定期的に開催されていますので、興味がある方は下記のリンクをご覧下さい。
「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」
マヤ遺跡カフェ
「摩耶観光ホテル」のエントランスにカフェが限定オープンします。開催日は不定期で、「まやビューラインサポーター・MaSACa(マサカ)」会員限定のイベントです。興味がある方は下記のリンクをご覧下さい。
まやビューラインサポーターの会
ほかにも、monte702のミニツアー「摩耶山ワンコインハイク」、摩耶の森クラブ「摩耶山植物観察会」、MOTOKOTO「野点ピクニック」などが開催されています。詳しくは下記のリンクをご覧下さい。
mayasan.jp


1926年に開業した宿泊施設の跡地。昔は、廃墟となっていましたが、「廃墟風」に建て替えられたられたようです。
旧天上寺の山門(仁王門)と仁王像
旧天上寺の仁王門は江戸中期の建築で、1976年の天上寺の大火を逃れそのままの形で残されていますが、檜皮葺の屋根や小屋組は撤去されています。安置されていた仁王像は、現天上寺の金堂内に安置されています。

ここから本堂跡まで300段以上の石段を登ります。








向こうに見える山が摩耶山の山頂。摩耶山の向こう(北側)に元摩耶があり、現在はそこに天上寺があります。




2018年の台風の被害で、六甲山の登山道はあちこちで土砂崩れや倒木のため通行止めになっています。










ロープウェイだと5分ですが、歩くと1時間かかります。

摩耶山史跡公園・摩耶観光ホテル跡へのアクセス
摩耶山史跡公園へのアクセスは登山道しかないため、徒歩でのアクセスとなります。
「阪急王子公園駅」から「摩耶ケーブル駅」まで約30分、「摩耶ケーブル駅」から「虹の駅」まで約1時間、「虹の駅」から「摩耶山山頂」まで約1時間ほどです。
楽に見学するには、「摩耶山山頂」から「虹の駅」までの下りを歩いて、「虹の駅」からロープウェイで掬星台へ、または、ケーブルカーで「摩耶ケーブル駅」へ帰ります。
摩耶史跡公園は表参道の上野道、杣谷(そまだに)からの摩耶東谷、青谷道など六甲山の登山道が合流していますので、新神戸駅へ下山することもできます。