第二次世界大戦中に製造された旧日本海軍の零戦の後継となる戦闘機「紫電改」の実物大模型が、加西市の鶉野飛行場跡で毎月第1日曜日、第3日曜日に公開されています。鶉野飛行場跡周辺には、鶉野飛行場資料館、地下飛行指揮所、防空壕、機銃座などの戦争遺跡群が残されています。
※イベント情報は変更になる場合があります。事前にご確認の上おでかけください。
紫電改は、第二次世界大戦中に製造された旧日本海軍の零戦の後継となる戦闘機で、加西市にある鶉野飛行場に隣接する川西航空機姫路製作所(現 新明和工業)で開発され、44機が組み立てられたとされています。※製造数には諸説あり。
紫電改は、加西市と関わりが深く、鶉野飛行場が防衛省から加西市に払い下げられたのち、加西市が飛行場跡地を「歴史遺産群ゾーン」としての保存を決定し、紫電改の実物大模型が製作されました。
紫電改の実物大模型の製作を発案したのは、加西市と鶉野平和祈念の碑苑保存会で、茨城県水戸市にある(株)広洋社に製作を依頼。(株)広洋社は過去にも茨城県阿見町にある予科練平和記念館で展示される戦闘機「零戦」の模型も製作した実績があります。
紫電改の実物大模型は、全9.37m、全幅11.99m、重さ約2tで、総工費は約1500万円。
紫電改の実機は愛媛県に1機、米国に3機が現存しますが、実物大の模型の製作は日本初となります。
紫電改の一般公開は毎月第1日曜日、第3日曜日の10:00から15:00で、一般公開への事前申し込みは不要で、紫電改が保存されている鶉野飛行場跡「備蓄倉庫(紫電改倉庫)」の入場料は無料です。
一般公開以外の日には、備蓄倉庫(紫電改倉庫)の外から扉越しに見学することができます。
鶉野飛行場(姫路海軍航空隊鶉野飛行場、川西航空機姫路製作所鶉野工場)は、第二次世界大戦中の1942年、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設が始まり、1944年に完成した旧日本海軍の飛行場です。
鶉野飛行場の建設にともない、姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。
鶉野飛行場は、訓練基地および特別攻撃隊(神風特別攻撃隊)「白鷺隊」の出撃拠点となりましたが、特攻によって稼動機を失うと、筑波海軍航空隊や岡崎海軍航空隊の分遣隊が駐留基地として使用。1945年8月15日の終戦により閉鎖されました。
1945年の飛行場閉鎖後は、アメリカ軍に接収されましたが、1957年に日本に返還されたのち、2016年6月に防衛省から加西市に払い下げられ、加西市が飛行場跡地を「歴史遺産群ゾーン」、「防災ゾーン」、「レクリエーションゾーン」として整備しています。
周辺には、滑走路や誘導路、エプロン、戦闘指揮所、掩体壕、防空壕、機銃座などの遺構も残されており、映画「火垂るの墓」のロケ地としても使用されました。
また、映画「男たちの大和」で、戦艦大和に搭載されていた対空機銃の模型が鶉野飛行場脇の対空機銃座に据付けられています。
防空壕や機銃座などの戦争遺構のほとんどは、市有地、神戸大学構内、民有地内にあり、無断で立ち入ることができませんが、一部は、外観の見学ができるように整備され、案内板が立てられています。外観の見学は自由ですが、内部の見学には事前の予約が必要です。予約の申し込みは「加西市観光案内所」で受け付けています。
加西市観光案内所 かさい観光Navi
鶉野飛行場は、第二次世界大戦中に、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されました。
川西航空機姫路製作所組立工場では、「紫電」と「紫電改」が製造されており、紫電が466機、紫電改が44機組み立てられました。※製造数には諸説あり。
第二次世界大戦中の鶉野飛行場では、主に「九三式中間練習機」、「九七式艦上攻撃機」などが運用されていました。